久高徹也の和太鼓指導方針

若輩ながら、私は「師匠」に大変恵まれた環境で稽古して来た
という点だけは、誰にも負けない自信があります。

私の太鼓は、ほとんどが和太鼓奏者「塩原良」さんより教わった
和太鼓道がベースとなっています。

そして、現在民族舞踊を中心にご指導頂いている「加藤木朗」さんの
スタイルもまた、自分が目指す理想の芸に、具体的な指標を与えて
下さっています。

お二人はもともと同じ歌舞劇団で活動されていたこともあり、
「日本の伝統芸能」を基礎とした芸を体現されています。

私はこの偉大な二人の師匠の教えを基礎としながら、
より親しみやすい和太鼓を目指して指導させて頂いています。

以下、より具体的な言葉でご説明申し上げます。


【和太鼓を教えるのではなく、和太鼓で教える】

これは、私が塩原さんより教わったことの中で、最も感銘を受けた言葉の一つです。
非常に深い言葉だと思います。

私もプロである以上、技術指導は丁寧に、そして慎重に指導させていますし、
“和太鼓を演奏する”ということの楽しさ、魅力を知ってもらうことを心がけていますが、
どんな時も、和太鼓を演奏する、その先にあることを忘れないようにしています。

仲間で助け合う心であったり、命を慈しむ心、自己を解放または確認するということ、
見る人が喜んでくれるということ、支えてくれる家族や地元の人々がいるということ・・・

人間が生きていく中では、和太鼓の技術云々ということはさほど重要でないと思います。
素晴らしい人生を送るために和太鼓に親しむ、そうした想いを何より大切にしています。


【気持のいい太鼓】〜和太鼓における身体操法〜

世の中には本当にたくさんの「流派」(と言ってよいか分かりませんが)が存在し、
そのどれもが優れた点を持っていると思います。
おそらく、一人の人がそれら全てを教わり、身につけることは不可能でしょう。

なので、当然ながら私は自分の教わってきた情熱的な“塩原良スタイル”を
自分の太鼓の基本として、ときに「加藤木朗」さんのような“涼やかながらも力強い”
太鼓をイメージしながら、自分なりの太鼓スタイルを追求しています。

その中で、私が最も大切にしている概念は、「気持のいい太鼓」です。

「気持のいい」というのは、大変抽象的な言葉でもありますが、
私が目指す和太鼓というものを実に的確に表現した言葉だと思っています。

最も分かりやすい例えを挙げるとすれば、「ドン」という芯をとらえた音がすると、
おそらく太鼓を打った人、または聞いている人も「気持ちいい」と感じるでしょう。

しかし、なかなか芯をとらえた音を出すということは難しく、そのためには
それなりの練習が必要です。

また、練習を重ね、熟練してくると最小限の力で芯をとらえた音を出すことが
できるようになりますが、その時の身体は無駄な力が抜け、非常に滑らかな
動きによって太鼓を打ちます。
これもまた打っている人、そして見ている人の
両方が「気持ちいい」と感じることでしょう。

太鼓に限らずあらゆる芸、スポーツの世界で熟練した方の動きを
見れば、誰にでも納得のいくことでしょう。

先に述べたとおり、塩原さんや加藤木さんの芸、太鼓は、
その基本に日本の伝統芸能の身体操法があるため、
どちらも非常に「気持ちいい」のです。

伝統芸能の動きというのは、現代人にとっては非常に難解であることが多く、
身につけるまでには相当の稽古が必要です。

しかし、長年受け継がれてきたということは、もともと日本人の身体にあった
動きであり、最小の力で最大の効果を得ることのできる合理的な動きだと
言うことです。
言い換えるとすると、身体が自然にそういう風に動き、気持ちいいと感じる
動きのはずです(だからこそ長年受け継がれてきているのでしょう)。

たとえば、重心を低くすることや、ヘソの下にある丹田を意識すること。
こうすることで、全ての動き、力を足元や丹田から発することが
できるようになると、腕やバチは意識せずとも動きたいように
動いてくれ、それは打つ方にも見る方にも実に「気持のいい」
自然な美しい動きとなって現れます。

また、身体(または動き)の重心、軸、芯などを意識すること、
身体をねじらない「なんば」の動きを基本とすることで
より自然で「日本的」な、美しい動きが可能となります。


【表現するということ】

その太鼓により何を表現したいのか。
その目的により、当然ながら表現方法は変わってきます。

私も「芸能表現師」を名乗っていますので、自分の表現に
ついては一応それなりの信念は持っていますが、
グループ、または個人の方を指導させて頂くときには、
基本的にそのグループ(個人)が何を望んでいるのか、
を何よりも大切にしています。

もちろん、“とにかく太鼓を楽しみたい”、“ストレスや運動不足解消”
ということが目的であれば、技術や表現法よりもみんなで楽しく打つことを
重視した指導をさせて頂いていますが、
“見ている人に元気になってもらいたい”、
“みんなで何かを成し遂げる達成感を味わいたい”、
“よりレベルの高い舞台を目指したい”。
といった目標や希望をお持ちになっている場合は、
それぞれにあった表現法の指導を心がけています。

しかし、難しいのは、子供のグループへの指導です。

私が子供に太鼓を教える際に、最も大事にしていることは、
「自分」というものに気付かせることです。

これは、言葉にするのはたやすいのですが、実践すると
なると非常に困難です。

「自分」を表現するためには、まずはその手段となる
太鼓の基本的な技術の習得が必要となります。
「個性」をはっきりさせるためには、集団の中での約束事
を守る必要があります。
「心を解放」させるには、それだけの自信を持たせることや、
安心して喜びが得られる環境を整えることが必要です。

太鼓を始めた頃、子供達は本当に楽しそうに、体をめいいっぱいに
使って太鼓を打ちます。
もちろん上手には打てませんし、曲も間違えたりします。
しかし、そこには間違いなくその子の“命の煌めき”があります。
この頃には、あまり基本的な技術のことは言わず、
とにかく伸び伸び、思いっきり太鼓を楽しんでもらう方が
いいのかも知れません。

少し慣れて来ると、身体の使い方もスムーズになり、
曲も間違えずに叩けるようになります。
見た目には、すごく上手で「気持のいい太鼓」になってきます。

しかし、残念ながら、多くの子が年を重ねるにつれ、
上達はするけれど、太鼓を始めた頃に見せていた
“弾けるような喜び”を表現できなくなります。

年齢的に“恥ずかしい”年頃になる、ということもあるでしょうし、
しだいに太鼓の感動が薄れる、ということもあるでしょうが、、
やはりこれは、私の指導力不足を反省するべきでしょう。

技術を高め、振り付けや音を揃えることは非常に大事なことであり、
集団で一つの目標を達成するという充実感を得ることもできます。

しかし、そればかりを追い求めると、私が何よりも大切にしたい「個性」
というものが発揮しにくくなってきます。

日本の伝統芸能の素晴らしさの一つに、「個」の輝きがあると思います。
集団で演技していながら、それぞれがそれぞれの世界を醸し出し、
輝きを放つ。その集合によりあらたな魅力が生まれる。

私は、この一見矛盾する二つの「集団美」を、どちらもあきらめずに
実現させたいと思っています。

指導するという立場にあっても、常に自分を高め挑戦を続けることが
義務であり、喜び、やりがいだと思っています。

「間違えない太鼓を打つことが目的ではない」

これもまた、私が大切にしている、塩原良さんの言葉です。

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