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長〜い独り言シリーズ 其の弐

『わが人生の最終目標:仙人』

 (あ、そこのアナタ。
  タイトルを見て“ヤバイところへ迷い込んでしまった!”と、
  ページを閉じようとしてはいけません。)

 (タイトルはたしかに危なそうに見えるかも知れませんし、
  書いている男もバカなヤツですが、このページから去って
  しまうのは、もう少しだけ続きを読んでからにして下さいませ・・・)


さて、気の早いアナタを無事引き留めたところで、本題に入ろう。

タイトルにあるとおり、仙人になることは私の人生の
最終目標である。
“夢”ではなく“目標”である、ということを一応強調しておく。

ただし、“仙人”という言葉を使うにあたり、注釈を入れておいた
方がいいだろう。

“仙人”という言葉は、厳密には中国の道教の思想に由来する
もので、道教の説く真理“道(タオ)”を極めた人のことを指すらしい。
仙術をあやつり、不老不死を得た者、ともされる。

私は、こうしたいわば“由緒正しい”仙人を目指している訳では
ない。
道(タオ)と言われても「?」であるし、不老不死を得たいとも
思わない。
ただ、仙人の持つ“仙術”という特異な能力に、
なみなみならぬ興味をかきたてられるのである。

なので、タイトルを言い換えるとすると、
私の人生の最終目標は“空を飛ぶこと”なのである。

 (あぁ、そこのアナタ!
  “やっぱりアブナイやつじゃん”と決め付けるのは
  もう少しだけ待って下さいませ)

“空を飛ぶ”というのは、いわば究極の目標であるわけで、
この“空を飛ぶ”ということを目標にしておけば、
きっと自分は死ぬまで目標を失わず、常に探究心旺盛な、
そして向上心豊かな“ハングリー”な人間でいられる、
そう思うのだ(おっ、ちょっと良いこと言った!?)。

それに、人は道を究めれば空を飛べる!と信じる方が
ロマンがあるではないか!
私は30を過ぎるこの歳になっても、インドか中国の奥地には
空飛ぶ仙人がいるはずだ、と信じている。

【仙人への道 実践編】


さて、目標に掲げている以上は、日々その実現に向けて
努力をしなければならない。

具体的にどうすればいいのか?
実は、私は自分の芸を磨くことこそが、
“仙人への道”へ続くものだと、本気で
思っているのだ。

 (そこのアナタ!
  なぜ芸人のホームページに仙人の話が出てきたのか、
  これでご納得頂けましたね!・・・納得できないか)

 (独り言シリーズ其の壱を、
  がんばって読んで下さったアナタ!
  なぜ私が、恵まれた地位を投げ打つほど、
  日本の民族舞踊に魅せられたのか、
  合点が行きましたね!・・・そんな話覚えてないか)

そう、踊り、特に日本の民舞を踊っている時に感じる喜び、
それは、身体が未知の動きに出会う感動の洪水であり、
新しい道理を吸収する興奮のるつぼであり、
新たな自分に生まれ変わる進化の煌めきなのだ!
 (新しい宗教でも興しちゃおうかな・・・なんちゃって)

とにかく、自分の体の新しい“操り方”を探る作業の
楽しさと言ったら、前のシリーズにも書いたとおり、
食事や睡眠を犠牲にしても惜しくないほどなのだ。
そしてそれが身に着いたときの喜び、感動は
“この瞬間のために生きている”と思えるほど
大きなものなのだ。

少し具体的な例を挙げれば、
腕を上げようとして腕を上げるときと、
胸や肩で腕を持ち上げようとするときとでは、
見た目のうえでは同じ動きに見えるが、
その質は全く異なってくる。

普段何気なく行なっている“歩く”という行為も、
体を支える骨格、動きの軸、重心の移動、
足への体重のかけ方、足の運び方などを
意識すると、驚くほど滑らかなものとなり、
また、想像できないほどの力を生むこともできる。

なんばの動きをマスターすることや、
軸や重心を自由にコントロールすること、
また、身体に存在する全ての筋肉を
意識的に操ることができれば、
小さな体でも、驚くほど大きな音で
大太鼓を打ち響かせることができるかも知れないし、
体重を感じることなく驚くほど速く動き、
驚くほど高く飛ぶことができるかも知れない。

いわゆる「金剛力」を身につけ、空を飛ぶ(ように飛び跳ねる)
ことができるようになるかも知れない。
またはその足がかりが見つけられるかも知れない。

こうしたことを想像しながら、実際に体で試行錯誤し、
様々な動き(振り)を身につけていくのだ。

そして、芸人であれば、それらの作業は
“ロマンでメシが食えるか!”などと揶揄されることなく
全て自分の仕事に繋がって来るのである!

よって、私にはこんなに夢にあふれた、楽しい職業は
他には考えられないのだ。

一生飽くなき好奇心を持ち続けることができる、
一生情熱を失わない、という自信も
こうしたところから来ている。

【なぜ日本の芸能なのか】

世界に五万とある芸能の中で、仙人への道として
なぜ日本の芸能を選んだのか。
それにもきちんと理由がある。

人間の身体というものは、学問の対象としても
実に奥の深い分野であり、いわゆる「西洋医学」と
言われるものでは、まだまだ解明されていない能力が
山ほどある(と言われているしそう信じたい)。

前述した、インドや中国の山奥には仙人がいる、
と思っているのは、中国には気功、インドにはヨガという、
それぞれ人体の内部に深い真理を追い求めている文化
があるからだ。

そして、日本にも「禅」があり、西洋の人体力学では
(少なくとも今の段階では)説明しようのない力を
生み出す「合気柔術」などの武術が存在し、
様々な術を使ったとされる「忍者」のような存在も
知られている。

今や、おとぎ話や伝説でしかないと言われる様々な
武術の達人の逸話などは、もちろん偽の話や誇張された
話もあるだろうが、本当にあった話だと信じたい。

実際に、日本の古武術(の身体操法)を再興させ、
その動きを現代のスポーツや人体力学に応用している
「甲野善紀」さんという方がいらっしゃるという事実も、
私を勇気づけており、いつか直接お話しを伺うことが
できたら、と思っている。
また、「ツマヌダ格闘街(ファイトタウン)」という
コミックは、ストーリーの面白さに加え、実践的な
武術の身体操法を紹介しており、新刊が出るのを
いつも楽しみにしている。
(興味のある方はぜひ一度読んでみて下さい)

大太鼓でものすごく大きな音を出す

小太鼓をものすごい速さで、正確に叩く

予備動作なしで大きな力(動き)を発生させる

身体のどこが使われているのか分からないような
微細な動き、またはその反対の複雑な動きをする

可能な限り体を脱力させて舞う。

可能な限り体を固めて打ちこむ。

脱力と緊張の時間、部位を自由自在に操る。

芸を身につけるためのこうした鍛錬は、
それ自体が非常に充実しており、技術が身に付いた時も
それだけですごく嬉しいのだが、私の場合は
いつか「仙人」になるための実践なのだという思いが、
その“修行”をたまらなく楽しいモノにしているのだ。

さぁ、あなたも仙人を目指してみませんか!

いやぁ、今回はあまり長くならずに済みましたねぇ。
よかったよかった。
果たして、最後まで読んでくれた方がいるのか、
読んだ方がこの先私のことを避けるようにならないか、
といったことはこの際気にしないようにして・・・

次回の“長〜い独り言シリーズ”も
どうかお楽しみに!
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