プロフィール

長〜い独り言シリーズ 其の六

『改めて大太鼓を考える』

さて、以前にこの独り言シリーズを更新してから
ずいぶんと時間が経ってしまった。

自分の記録のためにと書き残してあったはずの
記事だが、自分で読み返してみても、とにかく長い(笑)

これでは、以前の自分がどういう風に考えていたのかを
確認しようとしても、あまり実用的ではない。

そして、今年(2012年)のコンテストで、私は改めて
自分の以前の感覚を再確認することの大切さを痛感した。

そこで、今回はごくシンプルに、今の自分の考えをまとめて
おき、自分の近い将来のための参考資料を残しておきたい。

ただ、シンプルに、と言っても長くなるので(笑)、先に本当に
短い文章で、“ミソ”だけ記しておこう。

私の実践している(または目指す)大太鼓とは

力を入れずに力を出し、身体の末端まで確信を持たせ、
かつ無意識にそれらを動かし、位置を変えずに動くことで
エネルギーを伝達・増長させ、静止しながら動くことで
そのエネルギーを太鼓へ伝え、極限まで身体を緩めるのと同時に
極限まで固め、ごくシンプルな動き・形をより複雑にくみ上げる


要するに、以前この独り言シリーズで述べたように

矛盾を矛盾のまま矛盾なく

が理想なのである。
※これは私が勝手に“もう一人のお師匠”として尊敬
  している武術家、甲野善紀さんの言葉でもある

さ、多くの方がこのページを閉じた所で(笑)
2012年11月現在の、久高さんの大太鼓理論、
はじまりはじまり。

※お暇な方は、上の言葉をどう解釈するか考えつつ、
  その手がかりとしてお読み下さい
※ただし、おそらく久高さん以外の方には役にたたない
  内容ですので、あしからず

【身体感覚編】

●どこからが腕か

  →丹田から指先にかけて、さらにバチ先までが腕である

  →特定の表現、また、速打ちをする時にはどこから生えているか
    分からない、どこにもつながっていない腕を用いることもある

●関節

  →動くときには腰、肩、肘、その他あらゆる「関節」という概念をなくす

  →止まる時には関節が“しかるべき”位置、角度に収まっている必要が
    あるが、最終的にはやはり関節という概念はない

  →関節をなくすことで、身体は全身でひとつの単位となり、
    節目のないムチとなり、伸縮自在のゴムとなり、同時に
    固定された鉄の塊となる

●骨と筋肉

  →基本的には身体を支えるのも、力を生むのも骨である

  →骨にその役割をさせるものが筋肉である

  →筋肉は、身体をまもる鎧(外骨格)でもある

  →時に骨から独立させて、時に内面と外面、時に全体をバラバラかつ
    同時に操ることが必要である

  →認識単位(部位)を細分化できればできるほど、それら全てが
    同時に動いた時の力は大きく、動きは速くなめらかになる

  →どちらも、状況によって意図的にその存在(感覚)を出現させ、
    また、消すことができる

●身体の平衡

  →打面に対し肩と骨盤を平行に保つ
  ※求める表現によって異なってくる

  →骨盤、尾骨の感覚が大きな目安となる

  →足は時に骨だけ、時に緩みきった筋肉だけで、力みなく
    身体を乗せている感覚。ただし、意図的にそうする場合を
    除いて骨盤は傾けない

  →全くブレず、同時に、完全に自由な位置取りをする、
    “尾骨から伸びる第3の足”が出現することもある

【打ちこみ編】

●動き(力)の発現、伝達

  →全ては丹田から発現する

  →丹田で生まれたエネルギーを失わないよう、身体の中の
    あらゆる“凝り”(関節、筋肉の緊張)をなくす

  →力は、“動き”で体内を伝達され、“形”で太鼓へ伝えられる

  →最も強く太鼓へ力を伝えたい時には、身体の全ての部位の
    動きを瞬間的にとめる
  ※太鼓の強さ、求める表現によって異なってくる

  →片手で打つ時も、両手で打つ時のような感覚で打ちこむ
  ※求める表現によって異なってくる
  ※内面的には丹田(身体の真ん中)から打ち込む側の腕へ
    力が流れる

  →力を生み出すときに、蹴りだし、振り上げ、ひねり、などの
    「反動」は用いない
  ※表現法としては大いに用いる

●重心の位置、足の踏み込み

  →重心の低さ、足の(前後左右への)広がり、蹴りだしなどは、
    全て表現のために用いるもので、打ち込みの強さを生む
    ものではない
  ※表面上そう見せることは重要である

  →身体の位置は基本(構えた時)の位置に残しつつ、
    発生したエネルギーは残さず太鼓へ伝える

●腕の振り上げ、単発、連打の違い

  →基本的には単発も連打も身体の使い方は同じで、
    力の発生→伝達→静止(打ち込み)の間(ま)が違うだけ
  ※求める表現により異なる

  →振り上げにはエネルギーを使わない
  ※背面の筋肉をゆるめ、腹側の筋肉をせりあげ、腕を
    上方へ伸ばしつつ背面へ落とす感覚で
  ※連打の際には片方の腕が打ち込んでいる間に、勝手に
    振り上げさせられる感じで

【表現編】

  →理想としては、上に挙げたような本質的なことを実践した
    時に、その動きや形そのものが美しく見えること

  →実際には、体格や外見、曲の構成、その時の太鼓や舞台の
    状況等を踏まえ、上に挙げたことを全て実践しつつ、それとは
    独立させて、しかし同時に“舞台表現”を見せる

  →とにかく自分がやりたいように、楽しいように、気持ちいいように
    演奏することが大事だが、それが舞台表現として美しいか、という
    客観的な検証を怠ってはいけない

【トレーニング、メンテナンス編】

  →とにかく“形”を先に稽古する
  ※先に“力”を求めるのは、歪んだ車体、歪んだ車軸の車で
    スピードを出すようなもので、筋力があればあるほど、早く
    打てれば打てるほど怪我をしやすい

  →首とお腹、背中の筋肉を鍛える
  ※力の流れが、重力の方向と異なるため、特に首や腰へ負担が
    かかる。表現法や、力のかけ方でも対処できるが、より安全に
    演奏するためには首回り、腹筋背筋は鍛えた方がよい
  ※筋肉はあくまでも自分を守るための“車体”であり、力やスピードを
    出す“エンジン”ではない。
  ※F1レーサーは、首を鍛えたからといって早く走れるようになるとは
    限らないが、首を鍛えていないとGに耐えられずレースを続ける
    ことができない。それと同じことである

  →しかし、身体に負担をかけず、しかも筋力にたよらない、
    身体の小さな者や女性にも可能な「究極の打ち込み」は
    存在するかも知れない

【まとめ】

くどいようだが、上記の内容は、2012年11月現在の私が、私自身に
あっていると思われる理論を述べているだけである。

私と同じような体格で、私と同じのようなスタイルの大太鼓を
目指す方にとっては、多少参考になる部分もあるかも知れないが、
非常にパーソナルでマニアック、中には“変態的”な身体操法も
含まれているため、あくまでも大太鼓操法の一例として読んで
頂きたい(そう、結局ごく個人的な“メモ書き”なのである)。

特に、身体の大きな方は、上述したようなことをちまちまと稽古するより、
筋トレをして、シンプルに打ち込んだ方がスタイル的にもあっていると
思うし、上達も早いだろう。

しかし、そう思いつつも、私は、自分の大太鼓を学びたいと言って
下さる皆様には、“自分の大太鼓理論はかなり偏っている”と断りを
入れた上で、上記の理論に基づき指導させて頂いている。

というのも、私の理論は確かにマニアックだが、基本的にはとにかく
“気持ちのいい太鼓”を目指しているために、最終的にどのような
大太鼓スタイルを目指していたとしても、怪我をしにくく、より柔らかく、
より効率的な演奏をするための、1つの参考にはなる、と思っている
からだ。

偉そうなことを言っても、まだコンテストでの優勝がないのも事実。

それでも、こんな私の大太鼓を見て“良かったよ”と言って下さる方が
いる以上、そして、応援し、支えて下さる皆様のためにも、私は私の
スタイルで大太鼓を追求し、タイトルを獲りたいと思う。

大きな目標にしていた東京国際コンテストはなくなってしまったが、
どんなコンテストであれ、とにかく、同じ舞台に上がった誰よりも光る
演奏を見せる・・・目指すは、それだけだ。
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